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GIANTSニュース

2007.06.19

「勝利の方程式」橋本さんがトーク、13日川口さん、15日関本さんの参加者募集

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 巨人軍OB選手が当時のエピソードを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」。19日は、「勝利の方程式」と呼ばれた名セットアッパー橋本清さん(38)が、東京ドーム22番ゲート前の「ステージG-KING」に登場しました。

 橋本さんは、大阪・PL学園高校からドラフト1位で1988年ジャイアンツに入団。93年からリリーフ投手として活躍、試合終盤を橋本さん、石毛博史投手とつないで締めるリレーは、当時の長嶋監督から「勝利の方程式」と命名されました。ジャイアンツで13年間に通算134試合登板、9勝12敗8セーブ、防御率3.17。2001年にダイエー(現ソフトバンク)に在籍し、同年で現役引退しました。

 最初に「緊張します」と言いながらも「しゃべりまくります!」と宣言、自身や、さまざまな選手のエピソードを話してくれました。小学5年生から硬式野球を始めたという橋本さん、小学6年生の時には身長がなんと183センチあったという体格を生かし、「4番・ピッチャー」として活躍していましたが、中日の立浪和義選手とは幼稚園の時からPL学園高まで、ずっと一緒だったそうです。PL学園高では他に、同級生に野村弘樹(元横浜)、片岡篤史(元阪神)、2学年上に清原和博(オリックス)、桑田真澄(パイレーツ)、1学年下に宮本慎也(ヤクルト)の各選手ら、そうそうたるメンバーがそろっていて、橋本さんらが3年生時に甲子園で春夏連覇を果たしたのは、みなさんご存知の通りです。

 ジャイアンツに入団して5年目までは、一軍登板は1試合でした。当時、二軍の遠征では、バット、グラブ、ボール、そしてネットなども電車で運ばなくてはならず、それらの苦労に「早く一軍に上がらなくては」と発奮したそうです。

 「勝利の方程式」と呼ばれたことは「本当にうれしかった」そうで、「名づけてくれた長嶋監督に恥をかかせないように、そして勝って監督と握手をしたいと頑張った」と言っていました。長嶋監督からは、試合前の練習中によく後ろから頭をたたかれたりして、「緊張した場面での登板が多い自分を、リラックスさせる配慮をしてくれた」そうです。“相棒”の石毛さんとは仲がよかったそうで、選手寮の建て替えの時にはマンションの同じ部屋に住んでいたそうです。「石毛は、野球のテレビゲームでは抜群の配球で勝てませんでした。試合に生かせよと言っていましたよ」と笑わせました。

 最後に今年のジャイアンツについて「ここまでは、言うことなしです。上原投手がストッパーに入って死角がなくなった。走れる選手をうまく使い、細かい野球をやっていけば、優勝です」と宣言してくれました。

               ◇               ◇

 「集え!ジャイアンツおやG!!」次回は、ストッパー役の石毛博史さんが、24日(日)午後4時から登場するほか、7月13日(金)に川口和久さん、15日(日)に関本四十四さんが出演します。