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GIANTSニュース

2007.07.14

「野球選手になりたかった亡き兄の分まで」新潟の少年が始球式

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 読売巨人軍が骨髄バンクを支援する「命のアサガオ・シリーズ」2日目の14日(土)、野球選手になることを夢見ながら、原因不明の難病で昨年亡くなった兄に代わり、新潟県上越市の小学2年、斉木翔太君(7)が、巨人—広島戦の試合前の始球式に臨みました。兄のグラブを手に大役を果たした翔太君は「お兄ちゃんの分まで頑張ったよ」と満足そうに話していました。

 翔太君の兄、雄太君は小学2年のころ、「しょうらい、やきゅうせんしゅになりたいです」と自己紹介文に書く、元気で弟想いの男の子でした。しかし、小学3年になったばかりの2004年3月、原因不明の難病に犯されました。病状の進行を防ぐ唯一の方法は骨髄移植でしたが、数百から数万通りある白血球の型の適合者が見つからず、移植を受けられないまま昨年4月、10歳で亡くなりました。

 母親の桂子さん(43)は昨年、骨髄バンク支援を行っている読売巨人軍に手紙を送り、野球選手にあこがれながらも、亡くなった長男・雄太君のことをつづりました。それを機に斉木さん家族と球団の交流が始まり、巨人軍が骨髄バンク支援を呼びかける昨年のチラシには、雄太君の自己紹介文や桂子さんが球団あてに出した手紙の抜粋が掲載されました。

 巨人軍が骨髄バンク支援のシリーズを開催するのに合わせて、二男の翔太君が兄の意思を受け継いで始球式を務めることが決まりました。9日に知らせを受けた翔太君は、それから毎朝、登校前の約30分、父親の秀雄さん(39)を相手にキャッチボールを練習、実際のマウンドからホームまでの18メートルを投げられるようになりました。

 翔太君は、昨年ドナー登録をしたジャイアンツ・上原浩治投手の背番号が入ったTシャツ姿で東京ドームのマウンドに上がりました。やや緊張ぎみで、大きく振りかぶって投げたボールは右に大きく外れてしまいましたが、ノーバウンドでホームに届きました。翔太君の投球にドームの大観衆からどよめきと、温かい拍手が送られました。また、大役を果たした翔太君を、原監督がベンチ前で抱っこして激励しました。

 翔太君は「緊張した。ちょっと失敗したけど楽しかった」と興奮気味。グラウンド脇で、雄太君の遺影を抱いて見守った桂子さんは「二男と亡くなった長男の姿が重なりました。夢がかなって、本当に感謝しています」と目を潤ませていました。