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GIANTSニュース

2007.08.17

「おやG」水野さんが金太郎トーク

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 巨人軍OB選手が当時のエピソードを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」。17日は、「阿波の金太郎」と呼ばれた好投手、水野雄仁さん(41)が、東京ドーム22番ゲート前の「ステージG−KING」に登場しました。

 徳島・池田高校からドラフト1位で1984年に入団した水野さんは、速球と切れ味鋭いフォークで、13年間の現役前半は先発、後半はリリーフとして活躍しました。96年に引退するまでの通算成績は、265試合39勝29敗17セーブ、奪三振519、防御率3.10です。97年には大リーグ入りを目指して、ドミニカのウィンターリーグに参加、日本人初の勝利投手となりました。99~2001年には、投手コーチを務めました。

 池田高校時代に夏春連覇を果たすなど、甲子園のヒーローだった水野さんは、子供のころ「原選手から三塁のポジションを奪い取るのは僕だ」と特訓を積んでいたそうです。きっかけは小学6年生の時の9月3日の誕生日に、王選手が世界新の756号本塁打を記録し、「王さんは僕のために打ってくれたんだ」と感動したことでした。ジャイアンツの選手になって「オロナミンC」のコマーシャルに出るのも夢で、そしてそれを実現させました。

 入団後、二軍では人一倍しごかれました。真夏に厳しい練習をした後、約11キロの「多摩川一周走」を命じられた時、なんと途中で服を頭に結んで、多摩川を泳いで渡ったそうです。「絶対にまねしないでくださいね。危険です。命がけだったんです」と水野さん。でも、どんな時でもにこにこしていて、度胸がすわっていたそうです。

 現役生活で一番悔しかったことは、1987年の日本シリーズ第6戦、水野さんが先発しましたが敗北、西武の日本一が決まった試合です。「実は第7戦は、江川さんが先発予定だったんです。江川さんがこの年で引退することはうすうす感じていて、もう一回投げる姿が見たかったのに…」。逆に一番うれしかったのは96年、ナゴヤ球場の中日戦で7回一死満塁で登板、遊ゴロ併殺でピンチを切り抜け、その試合に勝って優勝を決めたことです。それが現役最後の登板でした。

 2年目のグアムキャンプ時に荷物を運んでいて肩を痛め、ジョーブ博士の手術を受けるなど肩痛に苦しめられ、最後の2年間は、毎日痛み止めを飲んで寝ていたそうです。引退を発表した時のコメントは「明日の朝から、起きた時に肩を気にしなくてすみます」でした。

 この日のトークショーの前日まで5連敗中だったチームに対し、「若手投手は、ピンチになってもベンチの顔色をうかがうな!ベンチは信頼して送り出しているんだから。食うか食われるかの戦争だから、バッターに集中しろと言いたいですね」とげきを飛ばし、ファンに対しても「投手はマウンドに上がる時、みなさんの熱い声援を受けられれば、アドレナリンがぐんと出てきますから」と応援を呼びかけました。

 「集え!ジャイアンツおやG!!」19日は定岡正二さん、21日は中畑清さん、23日は角盈男さんが登場します。詳しくはこちら