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GIANTSニュース

2007.09.16

「おやG」新浦さんが苦労と栄光の思い出語る

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 巨人軍OB選手が当時のエピソードを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」。16日は、昭和50年代の「長嶋巨人」の左腕エース、新浦壽夫さん(56)が登場しました。

 静岡商業高校で甲子園準優勝、1968年にドラフト外で巨人入団。76年に11勝をあげて左のエースに成長。77年に最高勝率、最優秀防御率、78年に最優秀防御率、最優秀救援投手、ベストナイン、最優秀投手、79年に最多奪三振と大活躍しました。83年まで巨人に所属し、400試合80勝72敗36セーブ、防御率3.16。84年から3年間韓国プロ野球に在籍した後、87~91年に大洋、92年にダイエー、ヤクルトに所属して引退しました。日本プロ野球での通算成績は、592試合116勝123敗39セーブ、防御率3.45です。

 トークショーのタイトルが「傷だらけの左腕」。甲子園準優勝後、高校を中退して9月に17歳で入団した時には、甲子園などの疲労からか、左肩を亀裂骨折していました。そのため2年間はほとんど野球をしないで多摩川の練習場で1日中走るばかり。「陸上部」と呼ばれました。午前11時から午後6時まで走っていたこともあるそうです。その後も一軍、二軍を行ったり来たりの生活が続き、「給料泥棒などと言われ、つらかったですね」と苦笑いを見せました。

 転機は、長嶋茂雄さんが監督になった75年。「未完の大器」の才能を見込まれ、開花させるために打たれても打たれても使われました。成績は2勝11敗。「『ピッチャー新浦』とアナウンスされると、スタンドからため息が聞こえたり、子供から『新浦、投げるな』とやじを飛ばされたり…。二軍行きを告げられた時には、正直なところほっとしました」。

 しかし翌76年からは、先発、中継ぎ、抑えにと大車輪の活躍。同年から4年間の登板数はなんと、50、44、63、45試合でした。当時のエピソードとして、試合前に長嶋監督から「新浦、今日も行くぞ」と言われ、ピンチの場面で自分の登板だと思い、リリーフカーに乗って意気揚々とマウンドに向かっていたところ、他の左投手がアナウンスされて、Uターンして帰っていったという思い出も披露してくれました。また、炭酸飲料が好きで「ご飯にコーラをかけて食べた」という有名なうわさは、本人によると「ご飯を食べていた時にたまたまそばに置いてあって、間違ったうわさが流れた」そうです。

 その後、連投がたたったのか、左ひじ痛、そして肩の亜脱きゅうも起こして苦しみました。84年から韓国に渡って、文化の違いに苦労しながらもエースとして活躍、87年に日本球界に復帰した時には、かつての豪速球投手から、大きなカーブを生かしたテクニカルな投手として11勝をあげて見事カムバック賞を受賞しました。89年8月4日には13安打を浴びながら完封するなど、巨人も苦しめました。