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巨人軍年表

| 1931〜1999 | 2000〜2017 |

■1931〜1999 (年次成績は年号初頭に記載、※は選手権獲得)

1931(昭和6)
10.29 全米選抜野球チーム来日

1934(昭和9)
06.06 三原修が職業野球第1号の契約選手となる
11.02 全米選抜野球チーム来日
11.20 静岡草薙球場で沢村栄治が好投。ルー・ゲーリッグの本塁打で0対1と惜敗
12.26 大日本東京野球倶楽部(巨人軍の前身)の創立総会を丸の内・日本工業倶楽部で開き、球団事務所を数寄屋橋・菊正ビル(現東映会館)に置く=巨人軍創立記念日

1935(昭和10)
01.14 静岡草薙球場で初のキャンプイン
01.26 球団結成第1戦を名鉄に14対1で圧勝
02.14 第1回アメリカ遠征のため市岡総監督ら秩父丸で横浜を出港。遠征中フランク・オドールの提唱で「東京ジャイアンツ」と仮命名。のちに「東京巨人軍」とする

1936(昭和11)夏(順位決めず)2勝5敗(藤本定義監督)
01.05 二出川延明、江ロ行雄らプロ初の移籍選手として金鯱軍に
02.05 丸の内・日本工業倶楽部で「日本職業野球連盟」創立総会
02.09 日本最初の職業野球団同士の試合、巨人3対10で金鯱に敗れる
02.14 第2回アメリカ遠征、秩父丸で横浜を出港
04.29 第1回日本職業野球リーグ戦(甲子園球場)開幕
07.01 連盟結成記念全日本野球選手権試合が戸塚、甲子園、山本球場でスタート(公式記録の起点)。巨人の公式戦初試合(戸塚)は名古屋に8対9で敗れる
07.03 大東京軍に10対1で勝ち、公式戦初白星。勝利投手に畑福俊英
09.05 群馬県館林の茂林寺の分福球場でキャンプ
09.25 秋の第1次大阪リーグ(甲子園球場)のタイガース戦で沢村栄治がプロ初のノーヒットノーラン

1937(昭和12)春優勝 秋2位(藤本定義監督、阪神と優勝決定戦で敗れる)
07.16 春季リーグで巨人初優勝
09.11 後楽園球場開場記念紅白戦。公式戦は翌12日に開幕

1938(昭和13)春2位 秋優勝(藤本定義監督、阪神と優勝決定戦で敗れる)
03.01 川上哲治、吉原正喜の熊本工バッテリ-、千葉茂(松山商)ら入団
11.17 中島治康、日本プロ野球史上初の三冠王(1965.9.30プロ野球実行委員会で認定)
12.18 巨人軍結成5周年記念大会後楽園球場で開催

1939(昭和14)優勝(藤本定義監督)
01.21 第1回マニラ遠征、北野丸で長崎を出港
03.01 日本野球連盟と改称、1年1シーズン制に
03.04 初代「巨人軍の歌」を発表
12.18 第2回マニラ遠征、熱田丸で長崎を出港

1940(昭和15)優勝(藤本定義監督)
多摩川河畔に新丸子寮完成
09.13 連盟から英語禁止の通達、ジャイアンツのニックネームをやめユニホームのマーク「G」を「巨」とする

1941(昭和16)優勝(藤本定義監督)
01.20 巨人軍本社、銀座対鶴ビル2階(元九州日報東京支社)に移転

1942(昭和17)優勝(藤本定義監督)

1943(昭和18)優勝(中島治康監督)

1944(昭和19)2位(藤本英雄監督)
01.12 日本野球連盟は「日本野球報国会」と改称
01.18 全選手、東芝府中工場に転入、野球は続けることになった
06. 球団事務所が麹町区有楽町の読売別館に移転
11.10 戦局悪化のため野球試合不可能となり球団は解散(会社は存続、営業は中止)と決定
11.13 日本野球報国会がプロ野球の一時休止声明

1945(昭和20)
11.23 戦後初のプロ野球試合東西対抗戦(神宮球場)

1946(昭和21)2位(藤本英雄・中島治康監督)
02.18 愛媛県松山市で戦後初のキャンプ
04.27 戦後初のペナントレース開幕。8球団総当たり15回戦制

1947(昭和22)5位(中島治康・三原修監督)
02.15 大日本東京野球倶楽部の臨時株主総会で、商号を読売興業株式会社と改める
04.02 東京巨人軍を「東京読売巨人軍」と改称
06.23 外野手黒沢俊夫、腸チフスで急死、背番号4を永久欠番。7.9球団葬

1948(昭和23)2位(三原修監督)
08.17 横浜ゲーリッグ球場で日本初のナイター。巨人2対3中日

1949(昭和24)優勝(三原修監督)
02.23 日本プロ野球のコミッショナー制が発足。正力松太郎が初代コミッショナー、のち辞任
09.25 芝スポーツセンター開館式で、読売新聞社主催「プロ野球ファンの集い」が行われ、2代目「巨人軍の歌」発表
11.26 東京会館で連盟代表者会議を開き、明年度から2リーグ分立を発表

1950(昭和25)3位(水原茂監督)
01.25 巨人軍、読売興業野球部から独立、株式会社読売巨人軍となる
03.10 セ・リーグ開幕、巨人は平和台で第1戦、松竹に4対0と快勝(パ・リーグは翌11日開幕)
06.28 藤本英雄が青森市営球場の対西日本戦で、日本プロ野球史上初のパーフェクトゲームを達成
07.11 巨人軍が後楽園で初ナイター(対松竹)

1951(昭和26)※優勝(水原茂監督)
03.30 株式会社読売巨人軍解散。その業務は読売興業に包括移転される
10.17 日本シリーズは南海を4勝1敗で下し、2リーグ制後初の日本一

1952(昭和27)※優勝(水原茂監督)

1953(昭和28)※優勝(水原茂監督)
02.15 米国サンタマリアで初の海外キャンプのため渡米、ニューヨーク・ジャイアンツのキャンプに合流
08.29 後楽園の巨人-阪神のナイターを、日本テレビが初中継

1954(昭和29)2位(水原茂監督)

1955(昭和30)※優勝(水原茂監督)
球団事務所が千代田区有楽町の「電気倶楽部ビル」に移る
02.02 中南米7か国遠征に出発(3.16帰国)
02.23 イースタン・リーグ結成(3.1にウエスタン・リーグ結成)
06.11 巨人軍専用の多摩川球場が開場
10.25 読売新聞社主・正力松太郎が米大リーグ名誉賞を受ける

1956(昭和31)優勝(水原円裕=茂監督)

1957(昭和32)優勝(水原円裕=茂監督)
12.07 立教大学の長嶋茂雄が巨人と契約

1958(昭和33)優勝(水原円裕=茂監督)
  球団事務所が中央区銀座西の読売新聞社第1別館に移る(68年に第2別館に移る)
10.04 早稲田実業高の王貞治が巨人と契約

1959(昭和34) 優勝(水原円裕=茂監督)
02. 宮崎で初のキャンプ
05.01 野球殿堂入り初の表彰として正力松太郎、沢村栄治ら
06.25 昭和天皇・皇后両陛下が後楽園球場の巨人-阪神戦をご観戦。初の天覧試合にふさわしく、4対4の9回裏、長嶋茂雄が村山投手から劇的なサヨナラ本塁打を放ち、5対4で巨人勝利
07.02 巨人-大洋戦(後楽園球場)を日本テレビが初めてカラー中継

1960(昭和35)2位(水原茂監督)

1961(昭和36)※優勝(川上哲治監督)
03.02 ベロビーチのドジャータウンでキャンプ

1962(昭和37)4位(川上哲治監督)
03.20 別所毅彦が巨人初の引退試合(後楽園)

1963(昭和38)※優勝(川上哲治監督)
05.04 皇太子殿下(当時)後楽園の巨人-国鉄戦をご観戦
創立30周年を記念し、3代目「巨人軍の歌」を発表

1964(昭和39)3位(川上哲治監督)
05.16 臨時株主総会で正力亨、巨人軍オーナーに就任
10. 初代マスコットマーク「ミスタージャイアンツ」決まる

1965(昭和40)※優勝(川上哲治監督)
11.17 第1回ドラフト会議、堀内恒夫ら8人指名

1966(昭和41)※優勝(川上哲治監督)

1967(昭和42)※優勝(川上哲治監督)
01.17 よみうりランド内に巨人軍寮完成

1968(昭和43)※優勝(川上哲治監督)

1969(昭和44)※優勝(川上哲治監督)
10.09 正力松太郎死去、84歳

1970(昭和45)※優勝(川上哲治監督)
04.02 金田正一の引退試合(後楽園)
12.03 カリフォルニア州ビバリー・ヒルトンホテルで正力亨オーナーと王貞治が米野球界功労者特別表彰

1971(昭和46)※優勝(川上哲治監督)

1972(昭和47)※優勝(川上哲治監督)

1973(昭和48)※優勝(川上哲治監督)
03. 球団事務所が千代田区大手町の読売新聞社9階に移転
10.22 公式戦最終戦対阪神9対0でV9成る(甲子園)

1974(昭和49)2位(川上哲治監督)
10.14 公式戦最終戦終了後、長嶋茂雄の引退セレモニーが行われる(後楽園)

1975(昭和50)6位(長嶋茂雄監督)
03.23 川上前監督の引退試合(後楽園)
10.10 巨人史上初の最下位決定

1976(昭和51)優勝(長嶋茂雄監督)
04.06 人工芝になった後楽園で初公式試合、大洋に2対5で敗れる
10.11 王貞治、対阪神23回戦(後楽園)でベーブ・ルースを超える715号本塁打

1977(昭和52)優勝(長嶋茂雄監督)
09.03 王貞治、対ヤクルト23回戦(後楽園)で通算756号本塁打、ハンク・アーロンの米大リーグ記録を超える
09.05 王貞治、国民栄誉賞第1号に選ばれる
11.08 正力松太郎賞制定。第1回受賞者に王貞治

1978(昭和53)2位(長嶋茂雄監督)
11.22 ドラフト会議に欠席

1979(昭和54)5位(長嶋茂雄監督)

1980(昭和55)3位(長嶋茂雄監督)
05.27 2代目マスコットマーク「バットに乗った少年」決まる

1981(昭和56)※優勝(藤田元司監督)

1982(昭和57)2位(藤田元司監督)

1983(昭和58)優勝(藤田元司監督)

1984(昭和59)3位(王貞治監督)
09.27 稲城市よみうりランド内に建設の室内練習場完成
12.26 東京紀尾井町のホテル・ニューオータニで2500人を招待し「東京読売巨人軍創立50年記念パーティー」開催

1985(昭和60)3位(王貞治監督)
01.11 1984年度ベーブ・ルース・クラウン賞の表彰式が、米ボルティモア市で行われ、王貞治監督が大リーグ関係者以外として初めて受賞
10.04 よみうりランド内に読売ジャイアンツ球場完成

1986(昭和61)2位(王貞治監督)
09. 米アリゾナの教育リーグに初めて参加

1987(昭和62)優勝(王貞治監督)
09.14 初めてのジュニア日本選手権で中日に9対0で快勝
10.18 巨人主催ゲームに3,043,000人集め、観客動員数がシーズン初の300万人突破

1988(昭和63)2位(王貞治監督)
04.08 皇太子ご夫妻(当時)、浩宮様、桂宮様、高円宮ご夫妻ご観戦。東京ドーム公式戦初試合(開幕戦)
09.29 王貞治監督の辞任、12代監督に藤田元司元監督の就任を発表
12.16 最高経営会議発足

1989(平成元)※優勝(藤田元司監督)

1990(平成2)優勝(藤田元司監督)
08.19 球団事務所が千代田区内神田の読売神田別館に移転
12.01 職員就業規則を施行

1991(平成3)4位(藤田元司監督)
08.20 読売ジャイアンツ寮完成
10.29 3代目マスコットマーク「ジャビット」決まる

1992(平成4)2位(藤田元司監督)
04.29 川上哲治元監督が叙勲(勲四等旭日小綬章)
06.22 読売興業株式会社の株主総会で、社名を「株式会社よみうリ」と改称
10.12 藤田元司監督退任、13代監督に長嶋茂雄元監督就任

1993(平成5)3位(長嶋茂雄監督)
04.12 ジャイアンツ球場にビジターハウス完成
11.01 フリーエージェント制導入
11.20 一部上位選手に球団選択の自由を認めた新ドラフト制度発足。三野・柳沢選手が巨人指名

1994(平成6)※優勝(長嶋茂雄監督)
04.22 球団事務所が神田錦町の竹橋3-3ビルに移転
05.18 槙原寛己が福岡ドームの対広島7回戦で完全試合を達成。プ口野球史上16年ぶり15人目(巨人では44年ぶり2人目)の記録で、奇しくも球団創立7000試合目の快挙となった
10.08 史上初の同率首位チーム同士の最終試合直接対決で中日を下してセ・リーグ優勝を決める
10.29 西武との4度目の日本シリーズは4-2で完勝。球団創立60周年を18度目の日本一で飾る
11.02 読売巨人軍60周年、読売新聞社120周年を祝う合同記念パーティーを開催(東京プリンスホテル)
12.26 巨人軍創立60周年パーティーを開催(京王プラザホテル)

1995(平成7)3位(長嶋茂雄監督)
  阪神大震災チャリティーサイン会など救援活動を展開
10.08 公式戦最終戦終了後、原辰徳の引退セレモニーが行われる(東京ドーム)

1996(平成8)優勝(長嶋茂雄監督)
10.06 セ・リーグ史上初の11.5ゲーム差を逆転して優勝
12.16 渡辺恒雄読売新聞社社長、巨人軍オーナーに就任。正力前オーナーは名誉オーナーに

1997(平成9)4位(長嶋茂雄監督)
03.04 二軍選手のユニホームの左袖に企業ロゴ、主催全試合をCS放送(ともに球界初)
04.03 韓国・三星ライオンズと友好協定締結
06.30 大阪事務所を「大阪駐在」に縮小・改称

1998(平成10)3位(長嶋茂雄監督)
03.22 OBを中心に「さよなら多摩川イベント」を開催
03.31 多摩川球場閉場

1999(平成11)2位(長嶋茂雄監督)
04.01 ファンの声を記録する留守録装置「ファンメッセージボックス」を開設
06.01 SFジャイアンツとコーチ派遣などの覚書交換