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PHOTO=日米野球で来日したルース。雨天の試合で番傘をさして守備につくなど、サービス精神旺盛だった
プロ野球が産声を上げる以前、アメリカでは既に大リーグが「国民的娯楽」として人気を集めていた。中でもニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースは、人気、実力を兼ね備えたスーパースターで、大リーグ人気の立役者だった。
「ベーブ・ルースを日本に呼びたい」。巨人の歴史は、読売新聞社社長、故・正力松太郎の一念から始まったと言っていい。既に1931年、全米選抜チームが来日し、学生チームを相手に17戦全勝とその実力を存分に発揮。この成功に気を良くした正力は、スーパースター、ベーブ・ルース招聘に乗り出す。
関係者の奔走が身を結び、ベーブ・ルースにゲーリッグ、フォックスら当時の超一流選手をそろえた豪華メンバーの来日が決まったが、問題は日本側の相手。ベストメンバーで戦うためには「プロ」選手を集めるのが一番と、正力らはプロ野球チームの設立に動いた。大リーグチーム来日を前に、34年6月、三原修(後に巨人、西鉄監督)とプロ第1号選手として契約を結ぶ。苅田久徳、中島治康、沢村栄治ら豪華メンバーがこれに続いた。日米野球後のプロチーム結成を見越したものである。
全米チームは、18戦全勝。しかし、11月20日、静岡・草薙球場では沢村がゲーリッグのホームランによる1点を許しただけで、9奪三振の快投を見せるなど、全日本チームにも明るい材料は残った。
第2回日米野球の成功を受け、34年の暮れも押し詰まった12月26日、東京・丸の内の日本工業倶楽部で大日本東京野球倶楽部の設立総会が開かれ、ここに日本初のプロ野球チームが産声を上げた。
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