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HISTORY ジャイアンツ栄光の記録
球団史 監督列伝 選手列伝
1934~1944
黎明期~ジャイアンツ誕生から戦前の時代

1935年 第1回アメリカ遠征

PHOTO=第1回アメリカ遠征、秩父丸船上でトレーニングする選手

 34年暮れに正式に旗揚げした大日本東京野球倶楽部は、35年1月には、早くも初の本格的なキャンプを静岡で行うなど、精力的に動いた。

 この年、チームは念願のアメリカ遠征に出発している。2月、市岡忠男総監督、三宅大輔監督に率いられた選手総勢18人はアメリカに出発。チームの名前が「巨人」に決まったのもこの時だった。「大日本東京野球倶楽部」はいかにも長すぎるというので、現地で日程の調整に当たっていたフランク・オドゥール(ナ・リーグで首位打者2回。日米野球でも選手として2度来日し、巨人の渡米に尽力)と鈴木惣太郎(のちの巨人顧問)が鳩首会談、「トウキョウ・ジャイアンツ」の名前に決まり、一行がアメリカの土を踏む前に、既に現地ではこの名前が新聞やポスターなどで使われるようになり、事実上「巨人」のニックネームが決まっていた。

 チームは、2A級(現在の3A級)のチームと次々と対戦。128日間に109試合、うちダブルヘッダー17回をこなすなど、大リーグ並みのハードスケジュールをこなし、75勝33敗1分と予想以上の好成績を残した。

 7月16日に帰国すると、8月15日からは夏季トレーニングに入り、その後9月6日から国内各地を転戦。アマチュアチームと対戦して力の差を見せつける。これが契機となり、各地にプロ野球チーム誕生の機運が生まれ、翌年の「日本職業野球連盟」結成、本格的なプロ野球のスタートにつながっていく。

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