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プロ野球の戦争からの復興は早く、45年(昭和20年)11月には東西対抗戦、翌年には早くもペナントレースが再開された。
混乱期の中、ジャイアンツは快進撃を続ける。40年代こそ優勝は一回だけだが、50年代に入ると第二期黄金時代が幕を開ける。51年からは日本シリーズ3連覇、一年おいて55年にも日本一になるなど、手のつけられない強さだった。
この時代で忘れてはならないのが西鉄ライオンズとの死闘。ジャイアンツからライオンズの監督に転身した故・三原脩は、「打倒・ジャイアンツ」を目標に新興ライオンズを育て上げ、56年から58年にかけては、日本シリーズで三度ジャイアンツと対決し、三度ともこれを下す。ジャイアンツにとっては屈辱となったが、いずれも日本野球史上に語り継がれる熱戦となり、ファン層の拡大に大きく寄与することになった。
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