7年に渡って活躍。ジャイアンツ史上最強の「助っ人」として記憶されている。
84年、来日1年目で早くも35本塁打、93打点と中軸打者に相応しい活躍。打率はこの年から3年続けてチーム最高と、チャンスに強いバッティングを見せつけた。80年代後半には、リーグの首位打者争いの常連となる。
圧巻は89年。夏場まで、4割を狙うかという勢いで打ち続け、最終的に.378という高打率で首位打者のタイトルを獲得した。巨人の選手の歴代記録としては、51年の川上の.377を凌ぐシーズン最高打率となった。「一発か三振か」が多い外国人選手の中で、通算打率.321、シーズン平均本塁打24本、平均打点80と、常に安定した成績を残した。
頭部死球で退場し、一晩を病院で過ごした翌日に代打満塁本塁打を放ったり(86年10月3日、対ヤクルト戦)、敬遠のボールを打ってサヨナラの殊勲打を放つ(90年6月2日、対広島戦)など、豪快で奔放なプレーも魅力。明るいキャラクターでも親しまれた。
■通算成績
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