プロ野球創設初期、巨人の礎を築いた名監督。松山商→早稲田→大阪鉄道局→東鉄とプレーし、東鉄では監督を務める。1935年、第1回アメリカ遠征から帰った巨人を2度に渡って破った実績が認められ、36年から巨人監督に迎えられた。
その名を一躍有名にしたのが36年9月に行われた「茂林寺の猛練習」。春の公式戦、満州遠征の終了後、群馬県内で行われた合宿練習は、2度に渡るアメリカ遠征で成功を収め、“天狗”になっていた選手たちを叩きなおす意味合いも込められていた。この練習で、今に続く巨人の基礎が形作られたと言える。この年春は2勝5敗と満足の行く成績が挙げられなかったが、秋には18勝9敗の好成績で優勝。早くも特訓の成果が現れた。
42年に監督を辞任するまでの7年(10シーズン)で優勝7回、2位2回(36年春は順位決めず)と抜群の成績を残す。戦後は太平(太陽)、金星、大映、阪急、阪神の監督を歴任。62,64年には阪神をリーグ優勝させている。74年には野球殿堂入りを果たした。
監督通算422勝168敗
■監督通算成績
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