第二次長嶋政権の跡を継ぎ、2002年から監督就任。一年目でセ・リーグ優勝、日本一の栄冠を手にした。翌年退任し、2006年、再び指揮官の座に就いた。
大胆かつ緻密な用兵はこれが初采配とは思えないほどの高い評価を受けた。一番に清水を固定したほか、抑えにはそれまで実績のなかった河原を起用し、二人とも期待に応えた。その一方で、一見奇策とも思える戦術も成功させ、チーム史上6位の86勝を挙げてセ・リーグを制した。その勢いのまま、日本シリーズではかつて何度も苦杯を舐めさせられた西武に4連勝、就任一年目で見事日本一に輝いた。
2003年シーズンは主砲・松井がFA宣言してヤンキース入り、さらに主力選手にけがが相次いで厳しい戦いを強いられ、タイガースの独走を許した。優勝を逃した責任を取り退任、わずか2年でユニフォームを脱いだ。
その後、球団特別顧問を経て、2006年シーズンから監督に復帰した。復帰一年目は、驚異的な“開幕ダッシュ”を決めたものの、パ・リーグとの交流戦を機に主力選手の故障が相次ぎ、急激に失速。ペナント奪還はならなかった。
07年はシーズン当初から常にリーグ上位に位置し、5月2日の中日戦では日本のプロ野球チームで初の通算5000勝を達成した。シーズン終盤には中日、阪神との熾烈な首位争いを制し、02年以来のリーグ優勝を果たした。しかし、この年から始まったクライマックスシリーズで中日にまさかの3連敗を喫し、日本シリーズには出場できなかった。
監督通算302勝260敗
■監督通算成績
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