ジャイアンツ初代エースというだけでなく、草創期プロ野球を代表するスーパースターでもあった。
京都商業を中退し、全米オールスターチームを迎え撃つ全日本チームに合流。昭和9年、静岡・草薙球場でのゲームで0-1で敗れたものの、9奪三振の快投で一躍勇名を響かせた。
短いキャリアながら、脚を高く蹴り上げる独特のフォームから繰り出す快速球と大きく落ちるカーブを武器に、最高殊勲選手1回、勝率1位投手1回、最多勝2回、史上初のノーヒットノーランを含む3度のノーヒットノーランを達成するなど、その球歴は記録づくめだった。
昭和19年12月2日、台湾沖で戦死。享年27歳。昭和34年に野球殿堂入りを果たしており、背番号14は永久欠番となっている。剛球投手のイメージを確立した功労者であり、その名前は今も「沢村賞」として残っている。
■通算成績
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