選手生活前半は将来の4番候補として注目を浴び、後半は選手生命を奪われかねない大怪我をひたむきな努力で乗り越え、代打の切り札として活躍した。
82年、PL学園から巨人入り。84年には115試合に出場して、早くも外野の一角を占めた。この年から、ケガをする88年まで、5年連続打率3割をマーク。86年は.312、23本塁打、87年は.322、30本塁打とリーグ有数のバッターに成長し、2年連続でベストナインに選ばれている。
札幌・円山球場で、外野フライを追って衝突、膝じん帯を痛める重傷を負ったのは88年。手術、約1間のリハビリを乗り越えて翌89年には復活し、90年には84試合に出場、.327、14本塁打と負傷前と遜色ない成績を残したほか、9月8日の対ヤクルト戦では優勝を決める劇的なサヨナラホームランを放ち、カムバック賞を受賞した。
長嶋監督の下では、勝負強い打撃を生かして代打の切り札として活躍。98年、惜しまれながら現役を引退したが、通算本塁打は惜しくも150本に届かなかった。
■通算成績
|