トップ  >  特集  >  集え!ジャイアンツおやG

集え!ジャイアンツおやG

トークも「いぶし銀」~上田武司さん

2008.04.29

写真

「おやG」2回目の登場となる上田さん

 巨人軍OB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が29日、東京ドーム正面22番ゲート前の「ステージGーKING」で行われ、「V9いぶしの銀」上田武司さん(62)が内野手へ転向した時の苦労話やアメリカ留学の秘話などを話しました。

 上田さんは1964年、鳴尾高校から入団。勝負強い打撃で主に2番打者としてV9時代の後半に活躍したほか、コーチ、球団職員と44年間にわたって巨人軍を支えました。昨年12月まで、ファンサービス部長だった上田さんは「昨年までイベントを仕切る立場だったのですが、今日は皆さんと久しぶりに会えるのを楽しみにしていました」とファンに感謝を述べるとともに、「『ファンサービス部の職員はしっかり仕事しているかな』と考えるなど、部長のときの気持ちがまだ抜けていません」と、「いぶし銀」らしく司会のファンサービス部員をけん制しました。

写真

現役時代の映像をファンと一緒に見入る上田さん

 投手として入団した上田さんは、1年後に内野手へ転向しました。多摩川グラウンドでノック漬けの毎日を送っていた上田さんは「ノックを受けたことがなかったので、初めのうちは怖くて取れなかった」と言います。その恐怖心を克服したきっかけは、川上哲治監督から勧められた禅の教えだったそうです。「川上さんから『窮(きゅう)して、変して、通ず』という言葉を教えられました。努力すれば無意識の状態でものごとを行えるようになるという意味です。それからは、とにかく“体で覚えよう”と練習を繰り返しました」。上田さんはコーチになってからも、この教えを胸に、松本匡史さんや中畑清さんら後輩選手を親身になって指導し、キャンプでは1日2000本のノックをこなしたことさえあったそうです。

 入団3年目の1966年10月、上田さんは、吉田孝司(現ジャイアンツアカデミー校長)捕手と林千代作選手の3人で、米国・アリゾナのドジャーズ冬季教育リーグへ留学を果たしました。通訳もいない2か月の留学中、3人は言葉や生活習慣の違いに大変苦労したそうです。日本では遠征先でも旅館に泊まっていた上田さんらは、米国で初めてホテルに泊まることになりました。「自動ロックというものを知らずに、吉田が部屋の外に締め出され、夜2時間もパンツ一丁で廊下をうろうろしていたんですよ」などと、米国での秘話を明かしました。

 現役時代に対戦した印象に残っている投手について話題が及ぶと、上田さんは、江夏豊さんの名前を挙げました。同じ関西出身で、試合を離れると一緒にゴルフをしたり、お酒を飲んだりする仲だったといいます。江夏さんは「真っすぐしか投げていない」と上田さんに話していたそうですが、上田さんは、その剛速球を打ち返すことができなかったといいます。江夏攻略法として、当時の川上監督からは「セーフティーバントで行け。後半は疲れるから」との指示があったことを告白しました。