集え!ジャイアンツおやG
海外視察で“九死に一生”体験~原田治明さん
2008.05.01

今回が「おやG」初登場の原田さん
巨人軍OB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が5月1日、東京ドーム22番ゲート前の「ステージG-KING」で行われ、V9時代後半などに代打の切り札的存在として活躍した原田治明さん(60)が、長嶋茂雄・終身名誉監督との思い出や球団職員時代の苦労話などを語りました。
「おやG」初登場となる原田さんは、V9最後の年となる1973年、巨人へ入団。長嶋監督の第1期(1975~80年)には、淡口憲治さん、山本功児さんとともに「代打トリオ」として活躍しました。また、現役引退後も、二軍打撃コーチ、ジャイアンツ寮・寮長、編成調査室長などを歴任、昨年までの34年にわたって球団を支えました。

ダンディーなスーツ姿が、海外視察では思わぬ事件の「引き金」に…
原田さんは小学5年で草野球に加わって活躍し、野球にのめり込んだといいます。それまでは、大相撲の十両まで昇進した父親の影響から相撲の方が得意で、小学6年の時には東京都の大会で優勝したこともあるそうです。「相撲は強いですよ。父親は相撲をさせたかったかもしれません。父親が関取のプロ野球選手はいないかも」と、意外な経歴を披露しました。
原田さんは現役時代、「ハラパン」というニックネームで呼ばれていました。原田さんが代打で起用された時、当時の長嶋監督が球審に「代打、ハラパン」と告げ、球審から「そんな選手はいないよ」と言われたそうです。原田さんは「監督はたぶん、僕の名前を覚えてなかったのかも」と苦笑いしていました。

大型画面に映された現役当時の活躍ぶりをファンと見入りました
長嶋監督の第2期(1993~2001年)で、原田さんは球団職員として寮長や編成部員などを務めました。編成部員だった時、原田さんは長嶋監督の命を受け、ドミンゴ・マルティネス選手の視察のためメキシコに派遣されました。巨人軍の代表という意識から、スーツ姿で視察をした原田さんは、球場からホテルへ向かう途中、強盗の標的となりました。「タクシーが止まった時、突然、シルバーの拳銃を突きつけられました。着けていた高級腕時計を渡して助かりましたが…」と恐怖体験を告白しました。“命がけ”の視察の甲斐あって、当時低迷していたチームが、加入したマルティネス選手の活躍で息を吹き返しました。原田さんは「マルちゃんが結果を残してくれて、編成冥利に尽きますね」としみじみ話していました。