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集え!ジャイアンツおやG

プロ入り前の苦労秘話を披露~定岡正二さん

2008.05.09

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「おやG」3回目の登場となった定岡さん

 巨人軍OB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が5月9日、東京ドーム22番ゲート前の「ステージG-KING」で行われ、定岡正二さん(51)が、高校時代に甲子園で活躍した高校時代の思い出や決め球・スライダーの習得秘話などを披露しました。

 定岡さんは鹿児島実業高校時代、2年の春と3年の夏に甲子園大会に出場。3年夏には準々決勝で原監督がいた東海大相模高校と対戦、延長十五回を一人で投げきり、一躍、高校野球界のアイドルになりました。今回のトークショーのタイトルも「初代ハニカミ王子」となっていることに、定岡さんは「王子と言われるだけでうれしいですが、野球選手が『アイドル』と言われるのはちょっとね…」と、冒頭から「ハニカミ!?」スマイルを見せていました。

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現役時代の映像を見て、自ら解説を加えました

 1974年のドラフト1位・投手として巨人入りした定岡さんですが、ピッチャーに転向したのは高校2年の秋から。「2年の春は背番号『9』の外野手で、初めての甲子園は代打出場でしたよ」といい、「経験がなくても、練習といい指導者がいるとプロのピッチャーになれると思います。だから投手になりたいと思っている子たちは、絶対に諦めないでほしい」と、プロを目指す野球少年へメッセージを送りました。

 鹿児島には硬式少年野球リーグもなかったといい、今のプロ野球選手やOBによる野球教室もなかったそうです。定岡さんは「高校入学前は、まともにユニホームを着た記憶もないし、監督が音楽の先生だったこともあり、野球をやるには恵まれていなかった」と少年時代を振り返りました。そんな定岡さんは小学時代から風呂場の浴槽の中で、毎日200回手首を振って鍛えていたといい、「自分で何か一つやりとげることを見つけて、続けることが大事です」と話していました。

 現役時代の定岡さんの“代名詞”といえばスライダー。同時期に活躍した江川卓さんは直球、西本聖さんはシュートを武器にしていたため、2人とは異なる球種をと考え、スライダーを習得したそうです。「昔は教えてくれる先輩はいなく、『自分で盗め』と言われた。だから独学で習得した僕のスライダーは、今のカットボールのような球だったと思います」といい、ファンの前で握り方を見せるサービスぶりでした。