集え!ジャイアンツおやG
“ダンディー”なエコ活動を紹介~川口和久さん
2008.06.06

「おやG」2回目の登場となる川口さん
巨人軍OB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が6月6日、東京ドーム22番ゲート前の「ステージG-KING」で行われ、川口和久さん(48)が、少年時代の思い出や社会人時代の苦労話を披露したほか、自身が取り組むエコ活動を紹介するなどしました。
両親が鳥取で旅館を経営していた川口さんは少年時代、夜9時ごろまで外で遊ぶ子供だったそうです。日の明るいうちは野球、暗くなってからは缶けりなどをしていたそうです。「“ホタルの里”と呼ばれるくらい水がきれいな場所で、夏は川で泳ぎました。『因幡の白兎』で有名な白兎(はくと)海岸へは、自転車で1時間もかけて行っていました。そのころたくさん動いたことが、野球選手の基礎を作ったのではないでしょうか」と故郷を懐かしんでいました。

今回も、そのダンディーさでファンを魅了しました
川口さんが野球を始めたのは小学4年で、最初はライトだったそうです。その後、ファーストを経て、小学5でチームに投手がいなくなって、立候補したことが投手に転向したきっかけだったそうです。初めての投手経験でも、相手打線を封じた川口さんは「なんで打たないのかな」と思っていたそうで、このころすでに大投手の片鱗を見せたようです。
高校時代は練習で水を飲ませてもらえず、便所の裏にコーラを隠したり、近くの田んぼの水を飲んだりしたこともあったといいます。そんな厳しい練習に耐える川口さんを支えたのは、先日亡くなった父親だったといいます。「練習は夜8、9時まで続きましたが、いつも父親が車で迎えに来て、練習が終わるまで待っていてくれました。プロになれたのも父親のおかげです」と、父親に対する感謝の気持ちを語りました。
1977年のドラフトでロッテの指名を断った川口さんは、大阪のディプロに入社、社会人チームで野球を続けました。しかし、仕事をしないと野球の練習をさせてくれない会社だったといい、川口さんは新聞の折り込み機を売る営業マンとして、商店や会社に営業回りに出ていたそうです。新人営業マンの川口さんは、当時150万円の新聞折り込み機1台を売ることに成功し、給料も3倍もらうことができたそうですが、「結局、売ったのは1台だけ」で、80年のドラフト1位で広島に入団しました。
この日から始まった「ジャイアンツecoシリーズ」にちなみ、自身のエコ活動について川口さんは野球解説者の傍ら、ビニール袋の再生させる会社で営業を手伝っていることを打ち明けました。「ビニールは土に返ることがないが、リサイクルすると何度でもビニール袋として利用できる。一人ひとり、できることから何でもやっていくのが大切」と呼びかけていました。