トップ  >  特集  >  集え!ジャイアンツおやG

集え!ジャイアンツおやG

「阿波の金太郎」誕生秘話~水野雄仁さん

2008.07.11

写真

水野さんの「おやG」登場は2回目

 巨人軍OB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が7月11日(金)、東京ドーム正面22番ゲート前の「ステージG-KING」で行われ、2度目の登場となる水野雄仁さん(42)が、野球を始めたきっかけやプロを目指した中学・高校時代の秘話などを披露しました。

 徳島県阿南市出身の水野さんが野球を始めたのは小学1年のとき。3歳上の兄が友達と野球チーム「宝田ダックス」を作ったが、メンバーが8人しかそろわず、4年生ばかりのチームにただ一人1年生ながら加わったことがきっかけだったそうです。上級生ばかりのチームで失敗することも多かった水野さんは「どうしてもうまくなりたくて、『巨人の星』などの野球マンガを見て技術を研究したり、暗くなってボールが見えなくなるまで、一人で塀にボールを投げたりしていました」と、野球を始めた当時の様子を語りました。

写真

途中から降った雨にもかかわらず、熱心なファンが集まりました

 甲子園で連覇を果たすなど池田高校時代に大活躍した水野さんは、中学時代にはすでにプロ入りを意識していたといいます。親から塾へ行くよう勧められた水野さんは、「僕は東大に行かないけど、プロ野球選手になる。だから塾へ行くくらいなら、コーチを付けてほしい」と進言、中学2年から専属コーチとともに野球選手として体作りを始めたそうです。水野さんは「中学2、3年の1年間半、朝4時に起きて新聞配達をしました。決められた時間に配らないといけないので、全力で走りました。その後、腕立てふせや腹筋などのトレーニングもしてから学校に通っていました」と当時を振り返りました。

 直球と切れ味の鋭いフォークを武器にプロ野球で投手として活躍した水野さんですが、「本当はバッターになりたかった」と打ち明けました。甲子園で出場した全16試合で安打を放ち、甲子園の通算打率は4割9分を超えていたと言います。巨人では先発、中継ぎ、抑えを務めたほか、肩肘の手術や二軍落ちなど、およそプロ投手が経験することはほとんど経験した水野さんは、「大概の選手の心理的な悩みもよくわかりますね」と、現在の野球解説に生かしていると説明していました。