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集え!ジャイアンツおやG

金メダリストの五輪裏話~宮本和知さん

2008.08.12

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2度目の「おやG」登場となる宮本和知さん

 巨人軍のOB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が12日(火)、東京ドーム22番ゲート前の特設ステージ「ステージG-KING」で行われ、昨年に続き2度目の登場となる宮本和知さん(44)が、自身が日本代表の一員として臨んだロサンゼルス五輪で活躍したときの思い出などを語りました。

 1984年、野球が公開競技として初めて開催されたロサンゼルス五輪で、宮本さんは日本代表として出場し、金メダル獲得に貢献しました。北京五輪のようにプロ野球選手のみで編成されたチームとは違い、当時はアマチュア選手のみのメンバー構成。後に、巨人で一緒に活躍した上田和明内野手(現・巨人軍査定室課長)や、1993年に18勝で最多勝を獲ったヤクルトの伊東昭光投手らと世界に挑みました。「日本野球のレベルが、世界のどの位置にあるのかわからなかった」と当時を振り返る宮本さん。米大リーグで本塁打王にも輝いたマーク・マグワイヤ選手や、巨人でもプレーしたシェーン・マック選手らと対戦し、「いかにも強そうな風貌に圧倒された」と話していました。

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ロサンゼルス五輪での思い出を語りました

 アメリカで初めて迎えたロサンゼルス五輪。グラウンドで熱戦が繰り広げられた一方で、宿泊した選手村の中に“ディスコ”が設けられていたことに宮本さんは驚いたと言います。部屋の中に閉じこもり、必死に日の丸を背負っているように見られる日本人とは対照的に、試合の合間に踊りを楽しむ外国人選手を目の当たりにして、「上手にストレスを発散しているな」と納得させられたのだそうです。

 見事優勝を果たした宮本さんは、所属先の川崎製鉄でマラソン選手として活躍した増田明美さんと一緒に帰国。会社の垂れ幕を持って成田空港に降り立ち、世間の注目を集めました。さらに、当時の増田選手のコーチから、「『川崎製鉄のために、増田と一緒になってくれないか(結婚の意)?』とお願いされたこともありました」という秘話も披露すると、観客席から驚きの声が上がりました。

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会場には多くのファンが集まりました

 その後、85年にドラフト3位で巨人に入団した宮本さんは、のちに「宴会部長」と称されるなど、ムードメーカーとしてチームを盛り上げました。引退後は、選手の素顔を引き出せる名司会者として活躍する宮本さんは、原監督から「ユニホームを脱いだあとは、現役選手を下から支えて、野球界を応援してくれ」とエールを送られたと話していました。