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集え!ジャイアンツおやG

「反骨エース」も高校時代に脱走を経験~西本聖さん

2008.08.26

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「おやG」3回目の登場となる西本さん

 巨人軍のOB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が26日(火)、東京ドーム22番ゲート横の「ステージG-KING」で行われ、3度目の登場となる西本聖さん(52)が、少年時代の話や高校時代の過酷な練習などについて語りました。

 愛媛県松山港の沖合にある興居島で生まれ育った西本さんは、「いまだに信号のない島ですが」と笑顔を見せながら、「ビー玉、メンコ、缶けりのほか、砂浜で三角ベースをしていました」と、しみじみとした様子。本格的に野球を始めたのは中学に入ってからで、「初めは長嶋茂雄さんのプレーに憧れてサードをやりたかった」と話しました。サード志望だった西本さんですが、中学1年生でバッティング・ピッチャーを任されたのをきっかけに才能が開花し、投手に転向したそうです。

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後半にはシュートの投げ方講座も

 西本さんは7人兄弟の末っ子(五男)。三男と四男が松山商業高校から甲子園に出場し、それぞれ準優勝と優勝を経験しています。西本さんも2人の兄に従って“高校野球の名門”へ進学しましたが、あまりに練習が過酷で「脱走をした」といいます。その練習内容というのは、「制服からユニホームに3分で着替えなければ、できるまでやり続ける」「真冬にグラウンドが使えず、松山から高知県境の三坂峠までを走って汗が凍った」「一日に600球を投げていた」等々。西本さんは「でも、そこで覚えた礼儀はプロに入って活かされたし、根性も鍛えられましたね」と笑顔を見せていました。
 
 高校時代に甲子園出場できなかったものの、西本さんは1975年ドラフト外で巨人に入団しました。プロ初登板は甲子園球場で、打たれても嬉しかったといいます。その翌日から打撃投手を命じられ、練習にもかかわらず、西本さんは味方の打者に全力投球したそうです。3日後に二軍落ちを宣告された西本さんは、その年に12勝を挙げてイースタンの最多勝投手となり、「反骨のエース」の一端を見せました。

 西本さんの「伝家の宝刀」と言えばシュートですが、カーブには自信がなかったそうです。プロ2年目の広島戦では、「カーブのサインを出されて投げたところ、ミッドにまで届かなかった。次もカーブを指示されて、また届かず、得点されてしまった」と苦い思い出を語りました。その後、ボールを使って、現役時代に幾多の打者を苦しめたシュートの投げ方を披露し、会場のファンも真剣に聞き入っていました。