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集え!ジャイアンツおやG

入念な走り込みで陸上記録を樹立~中村稔さん

2008.09.14

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「おやG」2度目の登場となる中村さん

 巨人軍のOB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が14日(日)、東京ドーム22番ゲート横の「ステージG-KING」で行われ、現役時代は多彩な変化球で活躍し、投手コーチとしても多くの選手を育てた中村稔さん(69)が、巨人選手を目指した中学時代や現役時代の思い出などについて話しました。

 中村さんは、巨人草創期を代表するエース、沢村栄治投手を生み出した三重県伊勢市で生まれ育ち、戦後野球が復活し始めたころには、「将来は巨人選手になる」ということを意識していたそうです。また、沢村投手と実は親せき筋だったことを明かし、「巨人への思い入れは強かった」と語りました。

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子どものころからコーチ時代まで様々な話題が話されました

 中学で本格的に野球を始めると、投手として巨人への入団をさらに意識するようになり、特に入念に走り込みを行ったそうです。当時、陸上競技会に出場した中村さんは、800メートル走と1500メートル走で県の記録を塗り替え、その記録は最近まで更新されなかったといいます。また、中学では生徒会長も務めたといい、野球以外でも多才ぶりを発揮していたことを話しました。

 中村さんは、地元の強豪・宇治山田商高から、1957年に念願の巨人軍に入団しました。V9監督の川上哲治さんもまだ現役選手の時代で、ボールが続くと一塁の川上さんから「ストライクを投げろ」と言われ、中村さんは「相手よりも味方の選手に緊張した」と振り返りました。

 69年に現役引退後、中村さんは投手コーチとして多くの選手を育てました。司会を務めた巨人軍OBの所憲佐・ファンサービス部次長も現役時代、中村さんにお世話になった一人でした。捕手だった所次長について、中村さんは「ブルペンで色々手伝ってくれた。縁の下の力持ちだった」とたたえました。野手の打撃練習で現役投手や投手コーチが投げていた時代に、打撃練習で登板した中村さんについて所次長は「練習からナックルボール、カーブ、シュートなど打ってきてすごかった」と打ち明けると、中村さんは「打撃練習で所は、僕にとって『いいおもちゃ』だったんだよ」と返し、会場の笑いを誘っていました。