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集え!ジャイアンツおやG

スピードスター誕生秘話を披露~柴田勲さん

2008.09.12

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「おやG」3度目の登場となる柴田さん

 巨人軍のOB選手が現役時代のエピソードなどを披露するトークショー「集え!ジャイアンツおやG!!」が12日(金)、東京ドーム22番ゲート横の「ステージG-KING」で行われ、V9時代の「スピードスター」、柴田勲さん(64)が、少年時代や高校時代の思い出、70盗塁達成の裏話などについて語りました。

 赤いシャツとジーンズ姿の柴田さんは「今日は地味な服装にしました」と冒頭から“舌好調”。この赤い上着にジーンズという服装は、柴田さんがルーキー時代、宮崎キャンプ初日の夕食で身につけたものと同じスタイルで、食堂にいたその他の選手たちが皆浴衣の上に丹前を羽織っていたため、「新人類と驚かれた」という思い出があると説明しました。

 横浜の中心部で生まれ育った柴田さんが野球を始めたのは、小学5、6年生の時で、相手は米・進駐軍の子どもらだったそうです。当時、小学生では珍しい硬球を使っていたといい、「コーラ、アイスクリーム、ホットドックなどがもらえるのが楽しみだった。5年生の時に勝ったら何もくれなかったので、6年でわざと負けたら、お土産までもらえた」と笑顔で振り返っていました。

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司会者に話する隙を与えないほどの“舌好調”

 柴田さんは中学時代、投手として県体会でベスト8進出に貢献、その後、高校野球の古豪・法政二高へ進学しました。同高の学試験では「受験番号を忘れず、答案名前を書けばいいと言われた。今では考えられないことですが、そうやって入学した」と入学秘話を明かし、会場の笑いを誘っていました。一方、野球では、2年・夏と3年・春に甲子園で優勝した柴田さん。最後の甲子園となる3年・夏は、準決勝の延長戦で敗退しました。「監督が大学生に替わったことと、自信が過信になって、全然練習をしなかった。やっぱり練習は嘘をつかないとその時教えられました」としみじみと話していました。

 1962年に巨人に入団した柴田さんは、高卒ルーキーとして開幕投手を務めました。オープン戦こそ3連勝したものの、公式戦では結果が残せず、その後、打者に転向しました。右打ちだった柴田さんは中学時代、1か月ほど遊びで左打ちしていたことがあったそうです。その話を耳にした川上監督が左打ちの練習を命じたことが、両打ちとなるきっかけとなったそうです。その後、柴田さんは1967年、シーズン70盗塁を記録しました。「その年、60盗塁したら銀座で3件豪遊させてあげると友人に言われた。もしできなかったら銀座で1件おごることになっていたので頑張った」と大記録の秘密を明かし、「無欲で頑張れば80盗塁くらいできたかもしれないが、今は投手も捕手も技術が上がっているので、35~40盗塁くらいかな」と話していました。